影取町 影取池と鉄砲宿

昨年、家の購入を考え、最初に内見した物件が、影取町でした。藤沢駅近くにある不動産屋から、車で現地に向かったのですが、そのとき、信号機に鉄砲宿という標記をみつけ、興味を覚え、いつか調べてみようと思っていました。しかし、家探しに忙しく、いつしか忘れてしまったのでした。最近になり、偶然、影取池と鉄砲宿に関する民話の存在を知り、さんぽに出かけました。

画像
家を出て、影取町へ向かう途中、汲沢町から原宿に抜ける道があります。ここは、昔、大変、淋しい山道で、日が暮れると、通行する人はいなかったそうです。この一帯は、一口藪と呼ばれ、この藪から妖怪が現われ、人々を悩ませていたといいます。村に大変勇気と知恵のある青年がおり、ある夜にその場所を訪れました。通行しようとする青年の前に藪から一つ目の妖怪があらわれました。青年は、「妖怪なら、大きくなれるか?」と問いました。妖怪は、「当たり前だ」といい、天にも届くような大入道になりました。青年は、「それなら、小さくはなれるか?」と問いました。妖怪は、「たやすいこと」と答え、青年の半分くらいの大きさになりました。青年は「何だ、それだけか。妖怪ならもっと小さくなって、私の掌に乗る梅干しになってみろ」と挑発しました。妖怪はせせら笑い、梅干しになり、青年の掌に乗りました。すると、青年は、梅干しになった妖怪を飲み込み、退治してしまったそうです。

画像
一口藪の道を、歩いて行くと、国道1号線に出ます。ここから影取町まで歩いて行けないことはないのですが、自分の年齢と寒さを考え、バスに乗りました。諏訪神社前で下車し、すこし歩くと諏訪神社があります。諏訪神社は、明治40年(1907)に、山谷仲町から、この場所に移転してきました。周辺が鉄砲宿と呼ばれていたことから、武神の諏訪神社は、勧請されたといいます。大蛇の伝説の残る影取池は、この神社の奥にあったと伝えられています。

画像
諏訪神社の奥は、畑が広がり、その先は、深い谷になっていました。昔、遊行寺近くの森という豪農の家に、おはんという大蛇が飼われていました。この大蛇は大変大食いだったそうで、森家は困り、近くの池に捨ててしまったそうです。池に捨てられた大蛇な、腹をすかせ、池の水に映る旅人の影を飲み込むようになりました。影を取られた旅人は、弱っていき、やがて死んでしまうそうです。困りはてた村人たちは、鉄砲の名人に頼んで退治することにしました。名人は、大蛇をおびき寄せるため、おはんと声をかけました。森家から迎えが来たと思い喜んで姿を現した大蛇は、名人に撃ち殺されてしまいました。影取町という地名はここから来ているようです。

画像
鉄砲宿に向かって歩きます。辺りは、畑の広がるのんびりとした風景です。

画像
道路の反対側は、建物が立ち並んでいますが、大木が昔日の東海道の趣きを感じさせます。

画像
鉄砲宿ちかくにある道祖神です。この辺りも旧東海道の趣きを残しています。

画像
鉄砲宿のバス停で、近くに大蛇にまつわる伝説が表記された案内板が立てられています。鉄砲宿という地名の由来は、大蛇伝説の他、この近くに鉄砲の練習場があったという説もあります。

画像
鉄砲宿のバス停を過ぎて、少し行ったところに、J・H・モーガン邸があります。J・H・モーガンは建築家で、1920年(大正9年)に来日し、横浜を中心に多くの近代建築を残しました。彼の設計した根岸競馬場の一等馬見所や横浜山手聖公会は現在でも残っています。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック