テーマ:中区

ハンマーヘッドクレーン 新港埠頭

新港埠頭9号岸壁には、横浜港第1号のクレーンが、鎮座しています。この50トンジャイアントカンチレバークレーン、通称ハンマーヘッドクレーンは、イギリス製で1914年(大正3年)、横浜港の貿易の増大にともない、イギリスから導入され、貨物船の荷降ろしに活躍しましたが、70年代からのコンテナ化、そして港湾機能の中心が大黒ふ頭、本牧ふ頭に移り、現…
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海岸通さんぽ

お久しぶりです。妻がお母さんの米寿を祝うため、2月上旬にペルーに帰国したのですが、デジカメを持って行ってしまったため、ブログの更新が滞ってしまいました。妻は5月上旬に日本に戻ってきましたが、ペルーで撮りためた写真の整理などがあり、やっとこの度、デジカメが戻って来たというわけで、何処にさんぽに行こうかと考えた末、横浜で一番好きな風景のある…
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根岸外国人墓地 ~丘の上のエンジェルたち~

横浜には、4つの外国人墓地があります。最も知られているのは港の見える丘公園の近くにある山手外国人墓地ですが、他に中国人の埋葬されている中華義荘(南京墓地)、イギリスをはじめとしてオーストラリア、ニュージーランド、インドなど、イギリスとその植民地であった国の戦没者の眠る英連邦戦没者墓地、そして、今回、訪れた根岸外国人墓地があります。何故、…
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日ノ出町さんぽ

馬券を買いに、WINS横浜にいくついでに、京急日ノ出町駅周辺をぶらぶらとさんぽしました。土曜日ということもあり、京急日ノ出町駅は、競馬に行く人の波が幾重にもできていました。ちなみに、この辺りは吉田勘兵衛によって埋め立てられて出来た吉田新田とよばれる地域で、明治政府が町名をつけるとき、黄金町、真金町、福富町、不老町、長者町など縁起のいいも…
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根岸住宅地区さんぽ

太平洋戦争後の1947年(昭和22年)、米軍に接収された根岸住宅地区には、385戸の住宅があり、約2000人の米軍関係者とその家族が暮らしていましたが、返還の合意がなされ、昨年の12月には、居住者の退去が完了しています。そんな根岸住宅地区の周辺を、歩いてきました。 根岸競馬場の一等馬見所の背後にあるゲートです。休日に、根岸森林公園…
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曙町 親不孝通りを歩く

関東で最大といわれるファッションヘルス街の曙町を歩いてみました。ファッションヘルスにはあまり興味はないのですが、この地域は戦後特殊飲食店の集まるカフェー街として栄え、その遺構がわずかばかり遺されてるというので、早いうちに写真を撮っておこうと思ったのです。ファッションヘルス店が増えたのは、1993年(平成3年)頃からで、何でも近隣にあった…
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大岡川ボードウォークから北仲通水際線プロムナードさんぽ

大岡川川沿いにある大岡川ボードウォークと汽車道の対岸にある遊歩道、北仲通水際線プロムナードを歩いてみました。JR桜木町駅で下車し、まずは弁天橋の横から大岡川沿いにある大岡川ボードウォークに入りました。 弁天橋から撮影した大岡川ボードウォークの全景です。人も少なく、のんびりできそうな感じです。フェンスの向こう側には、横浜市市庁舎が移…
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元町ぶらりさんぽ

高級ブランド店が軒を並べる横浜を代表する商業地の元町を歩いてきました。元町の歴史は横浜開港まで遡ります。1859年(安政6年)の横浜開港に伴い、1860年(万延元年)1月に横浜村の居住民90戸が隣接する本村に強制移転させられました。その年2月に「本村」を「横浜元町」に地名変更したのが元町の始まりです。明治になると山手居留地に多くの外国人…
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伊勢佐木町 イセザキモールをぶらぶらと

競馬では、秋のG1も始まり、WINS横浜までスプリンターSの馬券を買いに行ったついでに、ここのところあまり行っていなかった伊勢佐木町をぶらぶらとさんぽしてきました。伊勢佐木町は、かつて繁華街としての横浜でもっとも栄えていた地域でした。1882年(明治15年)遊郭が真金町に移転したため、明治初期から商店などが集中していた伊勢佐木通りは関内…
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本牧さんぽ

本牧は、第二次世界大戦後の1945年(昭和20年)から1982年(昭和57年)まで、その大半をアメリカ軍によって接収されていました。小港町から本牧和田まで、本牧通りを挟んだ両側にはフェンスで囲まれ、910世帯分の駐留軍向け住宅が立ち並びました。通称本牧ベースで、本牧通りの海側はエリアワン、山側はエリアツーと呼ばれていました。この在日米軍…
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本牧十二天さんぽ

今年の2月、一時は売却のウワサまであった本牧十二天の丘が、本牧十二天緑地として整備されました。もともと十二天の丘は海岸線で、十二天社(現在の本牧神社)の鳥居の足元まで波が打ち寄せていたといいます。源頼朝が鎌倉幕府を開くにあたり、鬼門守護を祈願して朱塗厨子を奉納したと伝記には記されているところから、十二天社の創建は平安時代だったと思われて…
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アメリカ山公園

元町をぶらぶらした後、アメリカ山公園にいきました。何故、アメリカ山と呼ばれるようになったかというと、開国後、ここはアメリカ公使館の建設予定地になっていたからです。1867年(慶応3年)山手地区は、外国人居留地として開放され、山手97番地は、アメリカ公使館の用地として予定されていました。しかし、当時のアメリカ公使は、この場所に住むことなく…
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寿町さんぽ

東京の山谷、大阪のあいりん地区と並ぶ三大寄せ場のひとつ寿町を歩いてきました。現在の寿町を含む周辺地域は1874年(明治7年)年、吉田勘兵衛によって埋め立てられ、戦前までは材木卸業者、港湾労働者とその家族が暮らす、下町情緒の残る一画だったそうです。太平洋戦争後、寿町を含む横浜関内、関外一帯はアメリカ軍に接収されました。横浜港が援助物資等の…
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野毛さんぽ

横浜の下町と呼ばれ、多くの飲食店が軒を連ねる野毛町をさんぽしました。そもそも、野毛は横浜開港に伴い、東海道と横浜港を結ぶ横浜道が開かれたことにより、交通の要所となり、明治時代に入ると、鉄道が開通され、横浜駅(現桜木町駅)ができ、三菱重工業横浜造船所の開設などで繁華街として発展していったのです。戦後はGHQによって伊勢佐木町などが接収され…
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新春の山下公園

飛鳥Ⅱを見た後、山下公園まで足を伸ばしてみました。山下公園は、横浜で最も有名な公園です。関東大震災の復興事業として、震災で発生した瓦礫で海を埋め立てて造成し、1930年(昭和5年)に開園しました。臨海公園で、大さん橋から山下埠頭までの間の約1kmが海に面しています。海沿いにはベンチが並び、この公園独特の景色を作っています。山下公園は、横…
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飛鳥Ⅱ、大さん橋入港

久しぶりに、象の鼻パークから山下公園の辺りをぶらぶらしてみようかなと出かけたところ、大さん橋に飛鳥Ⅱが入港していました。飛鳥Ⅱは、日本籍で最大の客船です。もとはバハマ船籍のクリスタル・ハーモニーとして三菱重工業長崎造船所で竣工し、1991年にアメリカのクリスタル・クルーズ社に就役しましたが、2006年、郵船クルーズが買い取り、日本向けに…
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山手駅から本牧山頂公園さんぽ

JR京浜東北・根岸線の山手駅は、同線内で一日の利用客数が最小だそうです。山手という駅名ですが、洋館や外人墓地、港の見える丘公園などのある外国人居留地であった‘山手町’の最寄駅ではありません。そんな山手駅が以前から、何となく気になっていました。とてもJR京浜東北・根岸線の思えない牧歌的なホームに魅力を感じていたのです。そこで、山手駅周辺を…
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新山下地区さんぽ

明治時代の初頭、山下地区は波の打ち寄せる海岸で、ヨシズを張り巡らした海水浴茶屋が何軒も立ち並ぶ遊泳場でした。その後、太平洋飛脚船石炭場や内田造船所など海運関連の施設が建設され、発展して行きました。新山下地区は、1916年(大正5年)に浅野総一郎が設立した浅野合資会社により埋め立て工事が始まり、1928年(昭和3年)に完成しました。そんな…
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山下埠頭夕涼みさんぽ 後編

岸壁から再び埠頭内を散策しました。 それにしても人っ子一人いないです。これだけ広い場所に一人でいると、寂しいというより、爽快感を覚えました。 日新倉庫の隣にある三井倉庫です。 道路を挟んで三井倉庫の隣にある三菱倉庫です。こちらはかなり年季の入った建物になっています。 三菱倉庫の向かいにあるキョクレイの倉庫です。比…
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山下埠頭夕涼みさんぽ 前編

山下埠頭は1953年(昭和28年)に着工し、1963年(昭和38年)に完成した在来貨物中心の埠頭で、主に東南アジア・中近東への金属機械製品の輸出を扱っていましたが、現在は本牧ふ頭、南本牧ふ頭などを補完する役割を担っています。山下公園に隣接し、中華街や関内からも近いため、観光や商業の拠点としての再開発が検討されているようです。写真にも写り…
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吉田町名店街

都橋商店街を見学した後、都橋を渡ると目の前に「吉田町名店街」とクリーム色の壁にレンガ色のペンキで書かれているビルがあり、興味がわいたので周辺をさんぽすることにしました。 吉田町は、伊勢佐木町と野毛というふたつの性格の異なる繁華街を繋ぐ渡り廊下的な位置にあり、また、戦後はGHQの接収地域にほど近かったため、アメリカ文化も流れ込み、個性的…
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都橋商店街

京急日ノ出町駅から大岡川沿いを下流に下っていくと、宮川橋と都橋の間に川の曲線に沿った2階建ての異様な建物があります。これが都橋商店街です。1964年(昭和39年)、東京オリンピック開催に伴い、野毛本通りの見栄えをよくするため、道を占拠していた露天や屋台を収納してできました。その形状から「ハーモニカ横町」とも呼ばれています。 大岡川…
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大さん橋屋上フロアさんぽ

大さん橋の前身は、1894年(明治27年)に完成した鉄桟橋で、1970年頃までメリケン波止場と呼ばれていました。1989年(平成元年)老朽化による改修工事が始まり、1995年(平成7年)新ターミナルの国際デザインコンペで最優秀作品が決定 し、2000年(平成12年)新ターミナルの新築工事着工、2002年(平成14年)現在の大さん橋が完成…
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黄金町を歩く

黄金町というと、少し前までは全国でも有数の青線地帯で、‘ちょんの間’と呼ばれる売春宿が京急の高架沿いに軒を連ねていました。‘ちょんの間’というのは間口一間というから2メートル足らずの店舗で、「ちょっとの間に行為する」ところからきているようです。黄金町駅から日ノ出町方面に京急の高架沿いを歩けば、店頭に立つ外国人女性たちから声をかけられると…
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根岸森林公園~根岸競馬場の遺構を訪ねて~

根岸森林公園は、根岸競馬場の跡地を整備し、公園にしたものです。1860年代、洋式競馬は横浜で始まりました。1866年(慶応2年)根岸競馬場が完成し、ここを拠点として翌年から1942年(昭和17年)戦争により幕を下ろすまで76年間競馬が行われました。現在も1930年(昭和5年)に建築された一等馬見所の遺構が残っています。設計したのは、アメ…
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山手洋館巡り その3

前回のつづきです。えの木ていで休憩した後、そのすぐ隣にある山手234番館へ行きました。 山手234番館です。1927年(昭和2年)年頃、外国人向けの共同住宅として、現在の敷地に民間業者によって建設されました。関東大震災により横浜を離れた外国人に戻ってもらうための復興事業の一つとして建てられ、設計者は、隣接するえの木ていと同じ朝香吉…
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山手洋館巡り その2

前回のつづきです。 山手68番館を見た後、もと来た道を戻り、再び山手本通りに出ます。港の見える公園方面にしばらく歩いて行くと、道の左側にベーリック・ホールが見えてきます。 ベーリック・ホールです。イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅としてアメリカの建築家J.H.モーガンの設計により1930年(昭和5年)に建てられたものです。…
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山手洋館巡り その1

外国人居留地だった山手の洋館を巡ってきました。 JR京浜東北線石川町駅で下車し、南口(元町口)を出ます。改札を出たら、中村川の反対方向に向かうと、ひらがな商店街にでます。駅を出てどちらに向かっても最初の洋館ブラフ18番館へ行くことはできますが、左に曲がり、大丸谷坂を上っていくのがいいでしょう。坂の手前にイタリア山庭園の標識が出てい…
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