テーマ:街並み

尾道 坂と路地の町 その2

尾道2日目です。この日は、前日に行けなかった古寺めぐりのコースを歩きました。 古寺巡りコースの入口付近です。ボヤでもあったのでしょうか、柱の焦げた家がありました。 にぎり仏で知られている持光寺です。写真は、御影石で造られた山門で、別名「延命門」と呼ばれています。 住宅街の道は、何処も映画に出てくるような雰囲気を持ってい…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

尾道 坂と路地の町

旅行三日目は、尾道です。倉敷から尾道は電車で1時間弱、朝10時過ぎに着きました。駅の観光案内所で、街の地図をもらい、ホテル探しですが、8月末ということもあり、すんなりと決まりました。ホテルに荷物を預け、商店街から街歩きスタートです。尾道は戦災を免れたため、昔のままの姿が残っており、映画や小説の舞台になることの多い街です。また、猫の多い街…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

倉敷 美観地区

旅行二日目は、倉敷です。神戸を出発し、倉敷に着いたのは11時過ぎでした。駅近くの観光案内所で、ホテルのリストをもらい、駅近くのホテルを予約し、荷物を預けた後、江戸幕府の天領に定められた際に倉敷代官所が設けられ、物資の集散地としての歴史を持ち、白壁・なまこ壁の屋敷や蔵の建ち並ぶ、倉敷美観地区を歩きました。 倉敷駅から続く倉敷中央通り…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

尻手・矢向さんぽ

妻と結婚して、最初に住んだ街が矢向でした。ネットで物件を検索していて、矢向駅から徒歩5分、2Kの一戸建てを見つけ、すぐに不動産屋にいったのでした。この物件は当初9万円の家賃でしたが、誰も借りてのいないため、7万円に引き下げられた直後で、僕たちが内見した最初の客ということでした。築年数は30年以上で、1階と2階にキッチンのある変わった間取…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

海岸通さんぽ

お久しぶりです。妻がお母さんの米寿を祝うため、2月上旬にペルーに帰国したのですが、デジカメを持って行ってしまったため、ブログの更新が滞ってしまいました。妻は5月上旬に日本に戻ってきましたが、ペルーで撮りためた写真の整理などがあり、やっとこの度、デジカメが戻って来たというわけで、何処にさんぽに行こうかと考えた末、横浜で一番好きな風景のある…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

保土ヶ谷駅東口商店会

東海道線に乗っていると、横浜駅を過ぎ、保土ヶ谷、東戸塚、戸塚と車窓から流れる風景を見ていると、とても横浜とは思えないような景色に出会います。その中でも、保土ヶ谷駅東口に戦後間もなく建てられたようなバラックの連なる景観に興を覚え、さんぽに出かけてました。この辺りは、保土ヶ谷駅東口商店会となっていて、1954年(昭和29年)に発足したそうで…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

根岸住宅地区さんぽ

太平洋戦争後の1947年(昭和22年)、米軍に接収された根岸住宅地区には、385戸の住宅があり、約2000人の米軍関係者とその家族が暮らしていましたが、返還の合意がなされ、昨年の12月には、居住者の退去が完了しています。そんな根岸住宅地区の周辺を、歩いてきました。 根岸競馬場の一等馬見所の背後にあるゲートです。休日に、根岸森林公園…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

川崎コリアンタウン 池上町探訪

川崎コリアンタウン3部作のようになってしまいましたが、その最後は池上町です。池上町はJFEスチールの敷地内を、‘不法占拠’している住宅群のあることで知られています。何故、そのようなことに、なったのでしょう?1910年、日本は武力を背景に、大韓帝国を併合し、植民地としました。それにより、土地を奪われた朝鮮の人たちは、働き口を求めて日本に来…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

伊勢佐木町 イセザキモールをぶらぶらと

競馬では、秋のG1も始まり、WINS横浜までスプリンターSの馬券を買いに行ったついでに、ここのところあまり行っていなかった伊勢佐木町をぶらぶらとさんぽしてきました。伊勢佐木町は、かつて繁華街としての横浜でもっとも栄えていた地域でした。1882年(明治15年)遊郭が真金町に移転したため、明治初期から商店などが集中していた伊勢佐木通りは関内…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

本牧さんぽ

本牧は、第二次世界大戦後の1945年(昭和20年)から1982年(昭和57年)まで、その大半をアメリカ軍によって接収されていました。小港町から本牧和田まで、本牧通りを挟んだ両側にはフェンスで囲まれ、910世帯分の駐留軍向け住宅が立ち並びました。通称本牧ベースで、本牧通りの海側はエリアワン、山側はエリアツーと呼ばれていました。この在日米軍…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

新山下地区さんぽ

明治時代の初頭、山下地区は波の打ち寄せる海岸で、ヨシズを張り巡らした海水浴茶屋が何軒も立ち並ぶ遊泳場でした。その後、太平洋飛脚船石炭場や内田造船所など海運関連の施設が建設され、発展して行きました。新山下地区は、1916年(大正5年)に浅野総一郎が設立した浅野合資会社により埋め立て工事が始まり、1928年(昭和3年)に完成しました。そんな…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

小机町さんぽ

今から二年前、それまで住んでいた借家を退去しなくてはならなくなり、週末になると不動産会社の人と物件を見て回っていました。その時、引っ越し先の候補として、重点的に周ったのが小机でした。なぜ、小机だったかといいますと、結婚して品川から横浜に引っ越したとき、バイクのナンバープレートの変更をするため、神奈川運輸支局に行ったのですが、そのとき小机…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

馬車道

横浜開港に伴い、横浜港と関内地域を結ぶ道路して馬車道は開通しました。関内に置かれた外国人居留地に住む外国人たちが、馬車でこの道を通ったことから、馬車道と呼ばれるようになりました。馬車道には歴史的な建造物が多く、モニュメントも数多く設置されており、散歩にでかけました。JR関内駅で下車し、馬車道に向かいました。桜木町方面に線路沿いを歩いてい…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ポートサイド地区さんぽ

ポートサイド地区とは、横浜駅の北西に位置し、栄町、大野町、金港町からなっています。この地域は、横浜駅から徒歩数分という立地にありながら、首都高速横羽線、国道15号、帷子川、新田間川などにより周囲から分断されていたため、開発から取り残された地域でした。 みなとみらい21地区へのアクセスとして栄本町線が整備されるのを契機として、「アート&…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more