新天地カフェー街跡散策 南浅間町

相模鉄道西横浜駅からほど近い南浅間町に、新天地カフェー街が存在していました。新天地カフェー街の前身は、新天地遊郭で、第二次世界大戦時の1945年5月の横浜大空襲の際に、ほとんどが焼失しました。戦後の1945年かろうじて焼失を免れた店舗で営業が再開されたそうです。その後、占領軍慰安施設(RAA)時代を経て、特殊飲食店街(カフェー街)へと移行していきました。「赤線跡を歩く」によりますと、RAAとは進駐軍から一般婦女子を守る‘性の防波堤’を目的に発足した民間団体で、内閣の要請、出資によるものだったそうです。

画像
新天地桜会稲荷神社で、新天地カフェーの存在を物語るものです。桜会というのは、湿地帯だったこの辺りの埋め立てが行われ、その中心人物だった櫻井染五郎氏にちなんでつけられたものだそうです。その名字から桜がとられ、地域の組合は新天地桜会と命名されました。(はまれぽ参照)

画像
新天地桜会稲荷神社の玉垣にも店名が刻まれている旅館笹本です。売春防止法施行によりカフェーから旅館に転業されたそうです。落ち着いた雰囲気の和式旅館ですが、囲い塀は連れ込み風でもあります。国道16号から南側は、アパートやマンションが立ち並び、カフェー街を偲ばせるような建築物は見つかりませんでした。国道16号をくぐり、その北側を散策しました。

画像
カフェー建築ではありませんが、格子戸の趣きのある家がありました。

画像
どうやらお米屋さんだったようです。

画像
庇の瓦に風情を感じました。‘ただもの’ではない雰囲気です。

画像
現在は、工場として使われているようですが、カフェー街の遺構でしょう。

画像
こちらもカフェー街の遺構といっていいでしょう。現在も人が住んでいます。

画像
こちらは‘はまれぽ’にも登場した市場です。民間の市場で、現在、営業してる店舗は無く、アパートとなっているようで、向かって一階の左側は、スナックが営業しています。

画像
‘はまれぽ’によりますと1952年(昭和27年)頃の建築だそうで、左側だけ外壁がリフォームされ、新しくなっています。

画像
かつては、この通路に、青果店、鮮魚店、精肉店、履物店、乾物店、書店などの店が並んでいたそうで、近くに松原商店街ができたことにより、廃れていったようです。

画像
建物の奥にある右と左の建築物を繋ぐ渡り廊下は、比較的新しかったです。今回のさんぽは、この建物が見たくて出かけたようなものでした。人





ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック