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zoom RSS テーマ「赤線跡」のブログ記事

みんなの「赤線跡」ブログ

タイトル 日 時
曙町 親不孝通りを歩く
曙町 親不孝通りを歩く 関東で最大といわれるファッションヘルス街の曙町を歩いてみました。ファッションヘルスにはあまり興味はないのですが、この地域は戦後特殊飲食店の集まるカフェー街として栄え、その遺構がわずかばかり遺されてるというので、早いうちに写真を撮っておこうと思ったのです。ファッションヘルス店が増えたのは、1993年(平成3年)頃からで、何でも近隣にあった病院が閉鎖されたため、風営法の規制から外れた地域となり、風俗街として急速に発展していきました。ここで放蕩の限りを尽くしたあげく、親の死に目に会えなかった人のいたこ... ...続きを見る

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2016/07/23 18:13
川崎南町を歩く 川崎遊郭の残り香を求めて
川崎南町を歩く 川崎遊郭の残り香を求めて 現在、川崎には2つの歓楽街があります。ひとつは全国的にも有名な堀之内、そして、もうひとつが南町です。実は、明治以来、遊郭に指定されていたのは、南町の方でした。1902年(明治35年)、東海道川崎宿の街道筋に散在していた貸し座敷が南町に集められ、歓楽街へと発展していきました。戦後は、カフェー街として復興しました。「赤線地帯と歩く」の、南町の魅力的な数々のカフェー建築や路地の写真をみて、現在はどのくらいの残っていのだろうかと思い、でかけてみました。 ...続きを見る

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2016/02/14 00:20
新天地カフェー街跡散策 南浅間町
新天地カフェー街跡散策 南浅間町 相模鉄道西横浜駅からほど近い南浅間町に、新天地カフェー街が存在していました。新天地カフェー街の前身は、新天地遊郭で、第二次世界大戦時の1945年5月の横浜大空襲の際に、ほとんどが焼失しました。戦後の1945年かろうじて焼失を免れた店舗で営業が再開されたそうです。その後、占領軍慰安施設(RAA)時代を経て、特殊飲食店街(カフェー街)へと移行していきました。「赤線跡を歩く」によりますと、RAAとは進駐軍から一般婦女子を守る‘性の防波堤’を目的に発足した民間団体で、内閣の要請、出資によるものだったそう... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/02/06 16:26
永真遊郭跡を歩く 真金町・永楽町
永真遊郭跡を歩く 真金町・永楽町 さんぽは、ただまわりの景色を楽しみながら歩くだけでも、それなりに楽しいものですが、そこに何か目的が加わると、気分も変り、さらに楽しさは増すように思われます。さんぽの動機つけする目的は、自然を愛でたり、歴史に思いをはせたり、または美味しいものを食べるためだったりと、何でもいいわけですが、今回は真金町・永楽町にかつて遊郭のあったことを知り、その痕跡を探してみることにしました。 横浜の遊郭の歴史は黒船来航に始まります。1858年(安政5年)、神奈川の小柴沖の米艦隊ポーハタン号船上で、下田奉行の井上清... ...続きを見る

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2015/06/21 00:51

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